2021.02.12
- チャリンコ通信
【チャリンコ通信】Vol.1 20バレル・シラーはエルミタージュを超えたか!? (前編)
コノスルがラベルに自転車を描くのにはわけがある。
コノスルの従業員の多くは醸造所とサンタエリサ農園に程近いチンバロンゴという小さな町に住んでいる。サンタエリサ農園までは電車もバスも無いので彼らの通勤手段はもっぱら自転車だ。朝夕の通勤時間帯には未舗装の道路が自転車で溢れる。広いブドウ畑の中も自転車で行き来する。自転車移動は温室効果ガスを排出しないし身体にもよい。だから有機栽培ブドウのワインができたとき、そのラベルに自転車を採用したのは自然な流れだった。
問題は自転車ラベルのワインの名前「ビシクレタ」についてである。ビシクレタは自転車のスペイン語だが、セラーの中で初めてそれを見た時、私はビシクレタの代わりに「チャリンコ」はどうかとアドルフォ(当時のコノスル社長)に提案したのだった。その後、喧々諤々の議論があった(かどうか知らない)が、結局、ビシクレタに決まった。あたりまえだ!
ところがどうだ。それ以来、アドルフォもワインメーカーのマティアスも自転車を「チャリンコ」と云うではないか。チンバロンゴに語呂が似ているから覚えやすく発音しやすかったのだろうか。
コノスルでは、従業員だけでなく訪問取材をする者も備え付けのチャリンコに乗ってブドウ畑に出かける。ママチャリのように便利な買い物かごは付いてないからノートとペンは後ろの荷台に結わき、カメラは首から提げる。サドルが高くて(足が短いとも云うが)クッションもよくないけれど、しばらくペダルを踏むと慣れてくる。そんな取材が毎年続き、コノスル訪問はかれこれ20回を超えただろう。その一部をこの“チャリンコ通信”で紹介する。
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第1回は「コノスル 20バレル・シラー」がチリのシラー・スタイルを変えたという話。
このワインは、みずみずしいフルーツの味、白胡椒のスパイスと塩っぽいミネラル、なめらかなタンニン。クール・クライメット・シラーの中でも特筆すべき一本、と評価されている。はたして、このワインは本家・エルミタージュに比肩できたのか。あるいは違ったベクトルのワインなのか。それを、前編(シラーはどんなブドウか)・後編(20バレル・シラーの畑と仕込みの特徴)にわけてお届けしよう。
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シラーの故郷はフランス南西部のローヌ地方である。
いまでは世界の各地で栽培されているシラーだが、1970年代までは北ローヌで、こぢんまりと栽培されていた。北ローヌのワインは昔からエルミタージュの名で広く知られており、18世紀にはまだ無名だったボルドーが「エルミタージュ」の名を借りて売られていたほどである。そんな世界に知られたエルミタージュでも、エルミタージュのブドウ品種が何であるかを知る人はいなかった。かつてブドウの品種名は産地名の陰にかくれていたからだ。
シラーの名前が広く知られるようになったのは、いまから50年ほど前、シラーが故郷・エルミタージュを離れて隣の南ローヌへと移ってからのこと。
それからラングドック、スイス、イタリア、スペイン、ポルトガルへと拡散する。新世界カリフォルニアでは“ローヌ・レンジャー”(むかし「ローン・レンジャー」という人気ドラマがあったのです)と呼ばれて有名になり、1993年、ついに南米チリに上陸した。わずか40年の間にシラーは「北ローヌの方言」から「世界の共通語」になった。
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いま、世界のシラーはおおよそ「濃縮重厚タイプ」と「繊細優雅タイプ」に分けられる(そうでないものもありますが)。
重厚タイプのシラーは熟した果実とチョコレートの風味で、時にはジャムのような濃厚な味わいのものもある。オーストラリアのグランジがこのグループの代表格だろう。1970年までシラーの産地は北ローヌだけと書いたがこれには例外があって、それは19世紀にフランスのモンペリエからオーストラリアに渡ったシラーズである。シラーズで造るグランジは、かつて「グランジ・ハーミテージ」と名乗っていた。もちろんハーミテージはエルミタージュの豪州読みである。ちなみにエルミタージュは「隠者の庵」のことで、グランジはたぶん「豪農の屋敷」のことだろう。どっちなんだい!なんともちぐはぐな命名だった。
でも当時はエルミタージュの名声に縋りたい気持ちがうんと強かったのだろう。草創期のニューワールドワインは、フランスやドイツの有名産地を騙って白ワインに「シャブリ」「ライン」、赤ワインには「エルミタージュ」と書いた。エルミタージュはフランスを代表する赤ワインの名称だったから。
はなしが脱線したついでに南アフリカのピノタージュについて。ピノタージュは「ピノとエルミタージュを交配した品種」で、その名のとおりならピノとシラーの掛合わせだが、どこで間違えたかピノとサンソーを交配してしまった。これもまた品種名が産地名の陰に隠れていた時代のなせる業だろう。
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チリで初めてシラーワインを造ろうとした人々のお手本はそのグランジだった。ブドウ畑はバロッサを真似て温暖なアコンカグアやコルチャグアの丘陵地に拓き、オーストラリアから醸造コンサルタントを招いたワイナリーもあった。当時は、アメリカ市場で濃いワインが持て囃されたから、それがシラーのスタイルにも影響したといえるだろう。
ところが、シラーの故郷・北ローヌは、バロッサやコルチャグアよりずっと涼しい気候だ。
北ローヌと南ローヌの境にモンテリマールという町がある。このモンテリマールはワインの名前にはないが、ローヌ地方のオリーブの木の自生限界地として知られている。ここより北は寒くてオリーブは育たない(地球の温暖化とともに限界線は少しずつ北上しているようですが)。
余談になるけれど、オリーブの自生限界とワインのスタイルには興味深い関係性がある。限界線の南ではワインは複数品種のブレンドだが、限界線を越えると単品種のワインになる。
北ローヌではシラー単品種(白ブドウを少し混ぜることはありますが)、南ローヌのシャトーヌフ・デュ・パプやジゴンダスは、グルナッシュやムルヴェードルにシラーを混ぜたワインである。イタリア北東部のオリーブ自生限界はヴェローナ辺りで、ソアーヴェやヴァルポリチェッラは複数品種だが、そこより北のアルト・アディジェやトレントは単品種ワインだ。
それはなぜか。理由はよく分からない。ただ想像するにブドウは変異しやすい果樹で、異なる風土に適合する特質がある。だから遠い昔、温暖な東地中海沿岸にはさまざまなブドウ品種と地酒があったはずだ。人々がそれらのブドウ樹を携えてローヌ川を北上して寒冷地に向かった時、途中でたくさんの品種が寒さで淘汰され、寒冷地に適した品種だけが生き残った。シラーはエルミタージュの寒さに適合して生き残ったのだろう。
つまりシラーは、本来、寒い土地で育つブドウである。そこから暖かい土地へ拡散するうちに、いつしか違ったタイプが生まれていた。それで二種類のシラーワインができ上った。チリでもエルミタージュの風土を正しく認識した人々は、あらためてシラーを冷涼地へと移すことにした。コノスルもその一人である。新世界はこれをクール・クライメット・シラーと呼んだ。
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21世紀を迎えたチリでは、シンプルなヴァラエタルワインから複雑味があって食事に合うワインを造る動きが顕著になった。あわせて、それまでの「濃厚」なワイン造りに対する反動から、爽やかでみずみずしい(センス・オブ・フレッシュネス)ワインを目指すようになった。それでブドウ畑の多くは、中央の平地(セントラルヴァレー)から海沿いの冷涼地(コスタ)に移動した。そこに白品種とピノ・ノワールを植えたのだが、いっしょにシラーを植える生産者も出てきた。
コノスルが2005年にシラーを植えたリマリヴァレーは、アタカマ沙漠の南縁に位置する。日中の日差しはとても強いけれど、夜の冷え込みが激しくて平均気温は低い。朝からずっと冷たい海風が吹きすさぶ。しかもチリのブドウ畑には珍しく、土壌に石灰質が多く含まれている。涼しいリマリのシラーは、サンアントニオ・レイダと同様に軽快で繊細なタイプで、もぎたてのベリーやスミレの花、胡椒のようなスパイスの香りとみずみずしい果実の味わいがする。
(後編につづく)
この記事で紹介したワインはこちら
20バレル・ リミテッド・エディション シラー
新樽100%で16ヶ月熟成。とてもエレガントな果実味が楽しめるフルボディ。タンニンは豊富ながらよく熟していて、バランスの取れた酸と共に全体を引き締めている。
この記事を書いた人
ばんしょう くにお
番匠 國男
ワインライター。ワインとスピリッツの業界専門誌「WANDS」の元編集長。ワインと洋酒の取材歴37年。「日本ソムリエ協会教本」のチリとアルゼンチンの項を執筆。1993年のコノスル創業以来、ほぼ毎年、コノスルのブドウ畑と醸造所を訪問している。フットボール観戦が趣味。週末は柏レイソルの追っかけ。海外取材の際も時間が合えばスタジアムへ出かける。