2021.02.26
- チャリンコ通信
【チャリンコ通信】Vol.2 20バレル・シラーはエルミタージュを超えたか!? (後編)
ラ・セレナはアタカマ沙漠の南縁にある海辺のリゾートで、サンティアゴに次いでチリで二番めに古い街だ。ラ・セレナ市街地の外れの海沿いにカジノを備えたリゾートホテルがあり、夜な夜なギャンブル好きで賑わっている。ちょうど収穫が始まった2月のある日の昼下がり、そのホテルの海の見えるレストランのウッドデッキでビールを飲みながらリマリに向かう車を待った(このホテルに泊まりたかったけれど懐具合が悪く、待ち合わせに使わせてもらっただけ)。
そこからリマリまでは車で1時間弱。国道5号線を南下し、コキンボ港に舫うチリ海軍の艦船を右に見ながら、トンゴイ湾の先で国道を左折、オバジェに向かってしばらく走り、もういちど左折するとケブラダ・セカのロッジに到着する。何度か通って知った道だが、私には運転免許がない。鉄道網の発達した日本から一歩外に出ると、たちまち身動きがとれなくなる。いつでもどなたかのお世話にならないと目的地に辿り着けない。困ったものだ。
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リマリのブドウ栽培の歴史は古く16世紀まで遡る。けれどもそれは、蒸留酒ピスコを造るためのブドウの歴史であって、ワイン用白品種やピノ・ノワール、くだんのクール・クライメット・シラーの栽培は最近始まったばかり。いちばん古い樹でも1990年代末の植栽である。ピスコ用ブドウはアンデスに近い内陸部のオバジェなど暑く乾燥した土地で作るが、新品種の畑はもっぱら海のそばの寒冷地を拓いている。
チリは南北に細長く気候区分のデパートのような国だ。赤道から少し離れているので熱帯雨林とサバナは無いが、それ以外は、沙漠、ステップ、地中海性、西岸海洋性、温暖湿潤、ツンドラ、そしてイースター島の亜熱帯気候までみな揃っている。なるほどこの国は「地理」を勉強するうえで欠かせないから「チリ」なのか。違うよ!
沙漠の外れのリマリは熱暑の地かと思いきや、じつはそうでもない。南極からペルー沖まで大陸沿いを流れるフンボルト寒流の影響で、チリの海岸は南から北までどこでも寒い。海水が冷たくて真夏でも泳げない。それはアタカマ沙漠の沿岸部もリマリの海岸も例外ではない。土地の人がカマンチャカと呼ぶ寒流由来の霧雲が沙漠の強い日差しを覆い、四六時中、冷たい海風が吹いている。サンフランシスコは霧の港町で有名だが、同じ仕組みでラ・セレナも霧の町である。
空気は少しの湿気を含んで冷たいが雨がないので土地は乾燥している。灌漑がないとブドウも野菜も育たない。灌漑用水はアンデスの雪解水の流れるリマリ川から引くか井戸を掘るか。「20バレル・シラー」のロス・アルメンドロス畑はリマリ川からポンプで水を引いている。
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ワイン用ブドウの栽培には年間平均気温10℃~16℃の土地が適していると云われている。白品種やピノ・ノワールなどは10℃に近い寒冷地で、カルメネールやガルナチャなどは16℃に近い温暖地でその品種の本領を発揮する。そしてシラーは、本来、ピノ・ノワールの栽培地に近い冷涼地・北ローヌで育っていたのだが、新世界へ拡散した時に栽培しやすい温暖な土地に移植された。その経緯は前編で説明した。
「20バレル・シラー」のロス・アルメンドロス畑のあるタバリから海まではおよそ20km。海のそばのタリナイやケブラダ・セカに比べると、ここでは午前中の早いうちにカマンチャカが蒸発(雲散霧消)するので日照時間が長く、平均気温が少し高い。そしてカマンチャカの届かないずっと内陸のオバジェはタバリよりうんと暑い。一方、フランス南東部では地中海からアヴィニョン、タン・レルミタージュ、リヨン、ボーヌと北に向かうほど涼しくなる。
つまりリマリでは冷たい海(太平洋)から離れるほど暑くなり、ローヌは暖かい海(地中海)から遠ざかると徐々に寒くなる。だからリマリのブドウ樹は海側からアンデスに向かって順に、ピノ・ノワールと白品種(ケブラダ・セカ)、シラー(タバリ)、モスカテルなどのピスコ用ブドウ(オバジェ)の並びで栽培されるようになった。
ロス・アルメンドロス畑は、リマリ川河岸段丘の斜度40度を超える急斜面を拓いた。歩いて少し上るだけで息が上がる。海からの冷たい強風が絶えず吹いているので樹列(垣根)がアンデス側に傾いている。カマンチャカが晴れると沙漠の強い日差しが照り付ける。海底が隆起したところにリマリ川の運んだ土石が積もった土壌構成で、畝間を掘ると丸い石と土砂の下に石灰質を含んだ地層が現れる。
シラーを植えた2005年まではここにエル・アルメンドロ(英名・アーモンド)の木が植わっていた。なにしろ水は貴重品。生産者毎に灌漑用水の割当量が決まっている(取水権を買うのです)から、アルメンドロとシラーの両取りはできない。それで泣く泣くクリスマスのトゥロン(アルメンドロで作るお菓子)を諦め、シラーの未来に賭けたのだった(真偽のほどは定かでない)。
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ワインにはいろんな香りがあり、その感じ方は飲み手によってさまざまだ。だからそこに印象操作の入り込む余地がある。ワイングラスのそばに白い貝殻の化石をひとつ置いて、「このワインのできるブドウ畑から持ってきました。かつてこのあたりは海でした、、」などと想像たくましく云われると、あら不思議、たちまちそのワインに貝殻や海の香りを感じてしまう。よくあることだ。でも落ち着いて考えてみよう。土中の化石のもつ特定のミネラルと、そこで育ったブドウで造ったワインの香りの要素を直接に結ぶのは、なにかロマンのある話ではあるけれど理屈の上ではどうだろう(この話は長くなるのでまたの機会に譲る)。
ところで、ワインの香りの中には特定のブドウ品種にだけ強く現れる特徴的な香りがあって、そのうちの幾つかはどの化合物に因るものかが分かっている。たとえばリースリングの白い花の香りはリナロール、ソーヴィニヨンの柑橘の香りはチオール化合物というように。そしてシラーに特徴的な胡椒の香りはロタンドンという名の香気成分だ。ここにはロマンはないけれど理屈はある(らしい)。
その理屈が知りたくて、少し前のことになるが、ロタンドンの研究をしていた高瀬秀樹さん(当時、キリン・ワイン研究所)を訪ね、じっくりと教えてもらった。しかし「カメの甲」が怖くて高校2年(もう半世紀も前のことですね)の時にサッサと化学から逃げだした私に、ロタンドンの生合成メカニズムを説いても、馬の耳に念仏。わかったことのあらましは次のよう。
①白胡椒などのスパイスの香りはシラーの品種特徴香で、それは果皮と果梗のロタンドン含有量に起因している。②気候が冷涼で土壌湿度が高いとロタンドン含有量が多くなる。③開花から14週目がロタンドン含有量のピークでその後は減少する。④ロタンドンは力価が高い(微量であっても強く香る)。
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「20バレル・シラー」の2012年、2013年、2017年を比較しながら飲んだ。どのヴィンテージにも共通して胡椒のようなスパイスの香りがあり、ほのかな塩っぽいミネラルを感じる。2012年はドライフルーツ、枯草やしょう油のような熟成した香りが出はじめている。2017年はスミレの花やみずみずしいブラックベリーなどの果実に微かな青さが感じられる。2013年が酸味と果実味となめらかなタンニンの具合がうまくバランスして(あんばいがよくて)ちょうど飲み頃だ。
白胡椒の香りの正体はロタンドンで、それは「20バレル・シラー」にもエルミタージュにも、あるいはそのほかの気候の冷涼な土地のシラーにも共通して現れている。ただ、リマリは灌漑の必要な乾燥地だが北ローヌは湿潤地だから、一般にエルミタージュの方がロタンドンの含有量は多いといえそうだ。
その代わり「20バレル・シラー」の味わいには、エルミタージュにはない塩っぽいミネラルが感じられる。ワインメーカーのマティアスによると、この塩っぽさはカマンチャカに由来するという。海で生まれた霧には塩分が含まれている。この霧が、毎朝毎晩、ブドウ果を覆う。強い日差しで水分は蒸発しても熟した果実の表面にはごく微量の塩分が残っている(可能性が高い)。これがワインに移っていて飲むと微かに塩っぽさを感じるのではないか、というのがマティアスの見立てである。ちなみに海のそばのタリナイやケブラダ・セカのシャルドネやピノ・ノワールからはもっと強い塩っぽさが感じられる。
「20バレル・シラー」はエルミタージュよりワインの色あいが濃い。これはそれぞれの土地の日差しの強度(日射量)と紫外線の量の違いによるものだ。エルミタージュの緯度は北緯45度で日差しが弱い。日照量を補うためにブドウ畑はローヌ渓谷の急斜面や丘の上に拓かれている。これに対してリマリは南緯30度。カマンチャカの晴れた昼下がり、風はとても冷たいが日差しは強烈だ。強い紫外線から種子を守るためにブドウの果皮は厚くなり色素が多くなる。だから味わいは繊細であっても色あいの濃いワインになりがちだ。
北ローヌのシラーワインは、かつては香りや味わいが閉じこもるきらいがあり、それが開くまでの時の揺りかごを必要としたが、近年は若いうちからはなやかで瑞々しい果実の活きたタイプが増えているという。
マティアスが云った。初めて「20バレル・シラー」を造ったのは2009年のこと。ある時、熟成中のボトルを試飲をしていて澱がとても多いことに気付いた。それで発酵タンクをピノ・ノワールと同じもの(上部が開放型で円筒形のステンレス製)に変えて櫂突きをした。2015年からは熟成の樽にフードルを加えた。でも、果梗をすべて外して果粒のままで醸すことはずっと変えていない。若い産地リマリは試行錯誤を続けている。
この記事で紹介したワインはこちら
20バレル・ リミテッド・エディション シラー
新樽100%で16ヶ月熟成。とてもエレガントな果実味が楽しめるフルボディ。タンニンは豊富ながらよく熟していて、バランスの取れた酸と共に全体を引き締めている。
この記事を書いた人
ばんしょう くにお
番匠 國男
ワインライター。ワインとスピリッツの業界専門誌「WANDS」の元編集長。ワインと洋酒の取材歴37年。「日本ソムリエ協会教本」のチリとアルゼンチンの項を執筆。1993年のコノスル創業以来、ほぼ毎年、コノスルのブドウ畑と醸造所を訪問している。フットボール観戦が趣味。週末は柏レイソルの追っかけ。海外取材の際も時間が合えばスタジアムへ出かける。