2021.05.25
- チャリンコ通信
【チャリンコ通信】Vol.5 青いカルメネール、紅いカルメネール(後編)
「夏がいつもより涼しかったので2021年産はみずみずしいカルメネールになるでしょう。」
マイポ・ヴァレーの南端ウェルケンでブドウを栽培するアルバロ・エスピノサから収穫の便りが届いた。アルバロはブドウ栽培にビオディナミ農法を採用し、いまではチリ・ビオディナミ界のグルと目される存在だが、チリで初めてカルメネールワインを造ったことでも知られる人物だ。
あれは1993年だったと思う。海辺のリゾート、ビニャ・デル・マルの夕食会に誘われた時のこと。若い醸造家のひとりが「あなたは日本人ですか」と声をかけてきた。それがアルバロだった。「はい」と答えると「それなら、ダイ・シマザキ(現在、マンズワイン社長の島崎大さん)を知っているか」と云う。それで、アルバロのこと、島崎さんとボルドー大学で同級だったことなどを聞き、日を改めてアルバロの勤める醸造所を訪問する約束をした。アルバロの畑のメルロー・チレノの本名がカルメネールだと判明する前年のことだった。
●
1994年11月24日、ジャン・ミッシェル・ブルシクオをアルト・ハウエル(マイポ・ヴァレー)のブドウ畑に案内したのはアルバロだった。そこで「メルロー・チレノ」がカルメネールだと知ったアルバロは、早速、その年のカルメネールでワインを造った。ところがラベルに品種名を表示する段になってはたと困った。チリワインには農業省農牧庁SAGの決めた「ラベル表示できる品種名リスト」があって、どんな品種でも表示できるわけではない。当然のことだけれどカルメネールはこのリストになかった。リストに掲載されたのは、それから2年後の1996年のことである。
チリワインのラベルに記載できるブドウ品種名は決まっている。品種表示だけではない。ワインを造ってよいブドウ品種も決められていて、それはワイン用ブドウ(ヴィティス・ヴィニフェラ)だけだ。ヴィニフェラ以外のブドウ(たとえば生食用ブドウや、生食用とワイン用を掛け合わせた交雑種)でワインを造ることは禁じられている。なんだか当たり前のようだけれど、日本にはこういう規則がない。「ブドウ酒」とは何か、「ワイン」とは何かが、未だに決まっていない。だから、ワイン用ブドウであれ生食用ブドウであれ、あるいは交雑種であれ、どんなブドウでワインを造っても構わない。それどころかブドウでないもの、たとえば梨やメロンなどの果実で造ってもよいのである。
●
話が脱線した。元に戻そう。さて、それからというもの、チリのワイナリーはみなこぞってカルメネールワインを造り始めた。ところができ上ったものは、程度の差こそあれ、どれもみな「青い」のである。ピーマンのような「青い」香りが強く出ていた。カベルネ・フランやカベルネ・ソーヴィニヨンの一部に感じるあの香りだ。ごちゃ混ぜ畑からメルローとカルメネールを切り離しはしたが、カルメネールの特性や、それが十分に発揮できる栽培の仕方を、まだ誰も知らなかった。だから当時のチリの醸造家の中には「この青さがカルメネールの特徴です」と云ってはばからない人もいた。
この青さの正体はメトキシピラジン(正確にはイソブチルメトキシピラジン、略してIBMPというそうだ)という香りの化合物で、これは力価のとても高い(微量でも強く香る)物質である。メトキシピラジン(IBMP)は、カルメネールだけでなくカベルネ・フラン、カベルネ・ソーヴィニヨンなどのボルドー品種に強く現れる。それはカベルネ・ソーヴィニヨンもメルローもカルメネールもみな親品種がカベルネ・フラン(もう一方の親はそれぞれ異なるが)というボルドー品種の系図に由るものだ。みんなひとつのファミリーなのである。
ピーマンは好き嫌いのわかれる野菜だが、このカルメネールのメトキシピラジンも「べつに気にならない」と云う人もいるけれど、「青いのはダメ」と拒む人は多い。ただ、香りの青さを別にすれば、カルメネールは色合いが濃く、口当たりはビロードのように滑らか、味わいは豊潤で、そのうえチリにだけに存在するブドウ品種だったから(後に北イタリアで見つかり、本家・ボルドーでも温暖化の影響で栽培を復活させたけれど)、年を追うごとにカルメネールを栽培するブドウ畑がどんどん広がり、あっという間にチリワインの基幹品種のひとつに成長していった。
●
一方で、チリのブドウ栽培者は、カルメネールのメトキシピラジン(IBMP)がいつ生成され、どうしたらIBMPの量を少なくできるか、その調査と研究を進めていた。すると、IBMPはブドウ果の色づき始める時期にもっとも多くなり、ブドウが熟すにつれて徐々に減少していく。そしてブドウ果に日光が当たるとIBMPは減少するが、1本の樹にたくさんの房をつけたり灌漑水をたっぷり与えたりするとIBMPはなかなか減少しないことも分かってきた。
そこで、カルメネールの収穫をできるだけ遅くして、IBMPを感じ取れないレベルまで果実が熟すのを待つことにした。ボルドーでは秋が深まると雨と寒さがやってくるので、いつまでも房を樹に残しておけないが、穏やかで乾燥した秋が長く続くチリのセントラルヴァレーなら、それはいとも容易いことだ。その結果、カルメネールの収穫時期がどんどん遅くなり、5月中旬(日本の11月中旬)を過ぎてもまだ樹に実のついたままの畑が出来した。2000年頃までのチリのブドウ収穫は、4月末にはすべて終わっており、ガッチリ稼いだ収穫人が笑顔でメーデー(5月1日)を迎える様子をあちこちの街角で見かけたものだった。秋の風景がすっかり様変わりしてしまった。
IBMP対策は収穫時期を遅らせることだけではない。果粒の色づき始めた頃合いを見計らって、ブドウの房の周囲の葉を取り除き、房に日光が直接に当たるようにした。そして房の数の多すぎる樹は一定数を未熟果のまま切り落とし、一本当たりの房数を切り詰めた。こうすると収穫量が減って栽培家の収入が少なくなるけれど、ワインの価格を少し引き上げることで帳尻を合わせた。
●
乾燥地のブドウ栽培は灌漑で成り立っている。かつて大量生産の時代にはブドウ樹に水をたくさん与えることで収穫量の嵩増しを図ったが、ブドウの品質を重視する時代になると潅水量をできるだけ少なく抑えるようになり、いまでは乾燥地であっても非灌漑の栽培が見直されている。そして、本来は生産量を抑制するために始めた灌漑水の抑制が、じつはIBMPの低減にも効果のあることがわかった。
この二枚の画像は、アコンカグア・ヴァレーにある有名なブドウ畑の隣り合わせの区画(10メートルと離れていない)で、樹齢の同じカルメネールを2017年4月18日午前中に撮影したものだ(撮影者:岩田渉ソムリエ)。双方ともすでに今季の収穫前の潅水は終わっている。ところが、左はまだ葉が青々としているのにたいして、右はすでに紅葉が始まって収穫間近を思わせる。何が違うのか。アグロノモ(ブドウ栽培家)の説明によると、左の「青い」樹は地中に細い水脈があって根がその水を吸収しているが、右には水脈がないので潅水を止めると樹は紅葉する。そして大事なことは、左のブドウのワインは微かにIBMPを感じるが右にはそれがないことだと云う。
●
カルメネール発見から10年以上たった2008年、チリ・タルカ大学で開催された「カルメネール・コンクール」に参加した。試飲したワインは、①まだ青さの強く残るもの、②青さとスパイスの混ざったもの、③スパイスとタバコの香りが支配的なものなど、その香りの幅が広くてどれがカルメネールの特徴なのか掴みきれなかった。ただ、このコンテストで最優秀賞を獲得した「コンチャ・イ・トロ ワインメーカーズ・ロット・カルメネール No.148」(樽熟成中のワイン、後に「カルミン・デ・ペウモ」になったと思われる)に衝撃を受けた。青さは微塵もなく、この上なく滑らかな口当たり。ブドウ畑のIBMP対策を講じることでカルメネールはこんなにも上品になるんだと驚かされた。
それから6年経った2014年。「カルメネール・コンクール」の主催者からお呼びがかかり再び出かけることに。出品ワインの中に(少なくとも私の試飲したワインに)かつてのような「青さ」の強く残るカルメネールは見当たらない。スパイスに混ざった微かな「青さ」がアクセントになって果実のみずみずしさを際立たせるもの、ベリーやプラムなどの果実にチョコレートやモカの香るものなどが多かった。木樽で熟成する期間を長くした効果が出ていると醸造家の一人が教えてくれた。
その代わりカルメネールに新しい課題が生まれていた。それは、収穫期が極端に遅くなることでブドウが熟し過ぎて、果実を煮詰めたジャムのような味わいのカルメネールが増えたことだ。果実は成熟する。若いうちは酸っぱいけれど熟してくると甘くなる。糖分が増して酸味が減る。過熟したブドウは酸味に欠ける。不足する酸味を補う方法を捜すことが新しいステージの課題だった。
●
1996年に収穫したピノ・ノワールの熟成中の樽からワインを抜いて試飲し、最良の20樽を選んで造ったのが「コノスル・20バレル・リミテッド・エディション」の始まりだ。その後、カベルネ・ソーヴィニヨン、メルロー、シャルドネ、ソーヴィニヨン・ブラン、シラーの「20バレル」への昇格が続いた。それぞれの品種に最も適した栽培環境を探し、そこにブドウを植え、何度も収穫を繰り返し、漸くできあがったベストワインをボトルに詰める。「20バレル」はそういう厳しい条件をクリアした畑のブドウで造るワインだ。ところがカルメネールはながらく「20バレル」の採用試験に及第しなかった。
ビシクレタやシングルヴィンヤードには採用されても「20バレル」には至らない。マティアスの指揮するコノスル醸造チームを満足させるブドウ畑が見つからなかったこと、そもそもカルメネールの栽培と醸造の歴史が浅くて試行錯誤の繰り返しだったことなどが「20バレル」に採用されない理由だった。それがピノ・ノワールから20年越しの2017年になって、漸く、醸造チームに認められた。ペウモ(カチャポアル・ヴァレー)のカルメネールを手に入れたことが昇格の大きな要因だった。
●
なぜペウモはカルメネール栽培に向いているのか。
そのひとつは穏やかな気候である。春先から暖かくて花ぶるいの心配がない。乾燥地だが、近くにあるラペル湖やカチャポアル川から程よい湿気が流れてきて秋が深まるまで穏やかな天気が続く。南北に走る沿岸山地がこの辺りだけは東(内陸部)に深く食い込んでいて、その南麓の傾斜地にブドウ畑を拓いている。かつてそこにはオレンジやレモンの木があり、それを抜根してカルメネールを植えたという。
ふたつは、この傾斜地の畑はカチャポアル川の運んだ粘土、シルト、砂、小石が積もってできた河岸段丘にあって、メドックの砂礫質土壌にサンテミリオンの粘土質が乗ったような構成になっていること。
19世紀のボルドーでカルメネールの栽培が途絶えた理由は、天候不順の春の花ぶるいと、ブドウが完熟するのを待たずに雨と寒さがやってくることだった。だからペウモはこうした障害をきれいにクリアし、しかも暑過ぎない。カルメネールの栽培条件を完全に満たしているようだ。
●
「コノスル・20バレル・カルメネール」は旨い。
上質のカベルネ・ソーヴィニヨンは若いうちは渋みが強いので円熟するまで10年以上も待たねばならない。けれどもこれは今すぐ飲んでもおいしい。スムーズで丸くて、まるでベルベットのように滑らかな口当たりのタンニン、よく熟した果実味ときりっとした酸味が釣り合って、ぎゅっと凝縮した味わいを構成している。あまり赤ワインを飲みつけない人にもお勧めだ。
マティアスは仕上げに“ひとつまみ”(レシピには全体量の3%と書いてある)のシラーを加えた。単なるおまじないではない。これがカルメネールにキリっとした酸味をもたらし、味わいを引き締めている。飲む前にボトルを冷蔵庫で15℃に冷やすとそのことがはっきりわかる。お試しあれ。
この記事で紹介したワインはこちら
20バレル・ リミテッド・エディション カルメネール
カルメネールの「聖地」、カチャポアル・ヴァレーのペウモ葡萄園の葡萄を使用。よく熟した濃厚な果実味が楽しめるしっかりとした骨格のフルボディ。
この記事を書いた人
ばんしょう くにお
番匠 國男
ワインライター。ワインとスピリッツの業界専門誌「WANDS」の元編集長。ワインと洋酒の取材歴37年。「日本ソムリエ協会教本」のチリとアルゼンチンの項を執筆。1993年のコノスル創業以来、ほぼ毎年、コノスルのブドウ畑と醸造所を訪問している。フットボール観戦が趣味。週末は柏レイソルの追っかけ。海外取材の際も時間が合えばスタジアムへ出かける。