2022.03.04

  • チャリンコ通信

【チャリンコ通信】Vol.11 冷たい海風と海霧に育まれたコスタの新しいピノ・ノワール


大学の入学試験がまぢかに迫った1972年2月下旬のこと。机に向かって最後の悪あがきをしていたら、隣室のテレビから微かに聞こえた「ばんどう くにお」というアナウンス。よく似た名前に驚いて聞き耳を立てると、それは人質をとって立て籠もる学生の一人だという。あの「あさま山荘事件」から、はや半世紀が過ぎた。

あのころ、上京し立てのわたしは、冬だというのに陽が射して明るく乾燥した日々の続く関東平野の天気に戸惑っていた。生まれ育ったのは日本海に面した半農半漁の寒村で、そこの冬はというと、いつでも雲がどんよりと垂れ込めて、沖の築港に大きな白波が立ち、雪と見まごう“波の花”の強風に舞うのが常だったから。




それがいまでは、明るく乾いた関東平野の冬にすっかり慣れてしまった。北風は冷たいけれど、窓際の陽だまりにいると身体がポカポカしてきてついウトウトしてしまう。そんな明るい関東の冬だけれど、時として冷たい雨が降り、それが雪になることもある。これは太平洋岸を北東に進む南岸低気圧の仕業だ。

テレビの天気予報の解説によると、関東南部に降る雨が夜半に雪へと変わるのか、あるいは霙や雨のままかは、南岸低気圧の進路、とりわけその中心が八丈島の北を通るか南を通るかによるそうだ。八丈島の南を通過するなら雪になり、北ならば雨のままのことが多いという。

南岸低気圧が八丈島の北、つまり陸地に近いところを通ると、低気圧に向かって南海上から暖かく湿った空気が流れ込むため関東南部は雨になる。一方、八丈島の南を通ると、この低気圧がシベリアから寒気を引き込んで関東平野がグッと冷え込み雪になる。陸地の天気と海洋との関わりは、じつにおもしろい。

真鍋淑郎さんは大気と海洋を結合した物質の循環モデルの研究で、昨年、ノーベル物理学賞を受賞した。地球温暖化とワイン産業の近未来を知るために、この「気候モデル」を適当に(わたしに理解できる範囲で)齧ってみた。そうしたら、ワイン用ブドウを栽培する時に最も大事な「気候要件」が、ともすれば畑とりまく土地の気温や降水量に集中してしまい、海洋との関連は見逃されることが多いように思えてきた。例によって、これは周知のことで知らなかったのは私だけかもしれないけれど。



20世紀末、ニューワールドのワイン産業はカベルネ・ソーヴィニヨンとメルロに代わる新しいブドウ品種を探していた。ワインの消費者が、濃くて重いワインに飽きてきて、食事と一緒に楽しめる軽いけれど旨いワインを求め始めたからだ。あちらこちらで、それに適したよいブドウ探しが始まった。そしてピノ・ノワールがその最有力と見做された。



ロマネ・コンティという世界に名だたるワインがあったからか、はたまたシャンパーニュの普及のせいか。それとも英国のワイン評論家の強いお薦めがあったからか、いや米国映画「サイドウェイ」の大ヒットのおかげか。なにしろ栽培面積だけなら取るに足らないほど小さなブルゴーニュのブドウに世界のワイン生産者の目が注がれたのだから。

そのころ、チリではまだカベルネ・ソーヴィニヨンが幅を利かせており、一方でメルロとカルメネールの畑を区分して別々に発酵させることに躍起になっていた。新しいブドウ品種と云えばシラーで、あちこちで試験醸造が始まった頃合いだった。

しかし、1993年創業のコノスルだけは違った。進取の気象に富んだコノスルの若い醸造家たちが興味を示したのはピノ・ノワールだった。なぜコノスルはピノ・ノワールだったのか。コノスル・ワイナリーのあるサンタ・エリサ畑の片隅に1968年に植えたというチリ最古のピノ・ノワールがあったこと、ビオビオのブドウ畑のリースリングやゲヴュルツトラミネールと一緒にピノ・ノワールの栽培区画があったことなどが、後に彼らを世界最大のピノ・ノワール生産者にせしめる原動力になったのだろう(コノスルのピノ・ノワール成功譚は次の機会に)。


チリのピノ・ノワール栽培地の説明書きにしばしば、「雨が降るのは冬だけで、ブドウの成熟期は乾燥する地中海性気候がピノ・ノワール栽培に適している」と云うのを見かける。チリだけでなくニューワールドのピノ・ノワール産地にはこういう説明が残っているかもしれない。つまりよいブドウ、よいピノ・ノワールを育てるには地中海性気候が必要というわけだ。これは本当だろうか。


コノスルのピノ・ノワール

そもそも、「よいブドウ」とはどんなブドウだろうか。
チャリンコ通信Vol.10のFacebook告知にいくつかのコメントが付いた。そのなかのひとつに、「(カベルネ・ソーヴィニヨンの画像を見て)こんな美味しそうな葡萄は発酵させずに食べたい」というのがあった。この人にとっての「よいブドウ」は、ワインにするのではなく食べるものである。この人だけでなく、日本にはよいブドウは発酵させずに食べるものとみている人が多いと思う。なぜなら、かつて(いまはどうだか知らないが)「おいしい甲州ブドウ」は、青果市場に出荷するか、ブドウ狩りに充てるかで、そこに出せない傷物や残りものを醸造業者に売り払っていたのだから。

だから、ここでは「よいブドウ」を、敢えて「ワイン用ブドウ」に絞って考えよう。
このごろは、生産本数がほんの少量でも(あるいは少量珍品だからこそ)目のとび出るような対価を払ってでもそのワインを買う人がいる。そして、そういうマーケットがある。だから、よいブドウの基準は少しずつ変わっているようだ。
けれどもほんの少し前までなら、収穫量が多くて、黴や害虫に侵されない健全果で、その取れ高の安定している品種こそがよいブドウの条件だった。ニューワールドでブドウ栽培をする人々は、そういうブドウのとれ高のよい土地を探して樹を植えた。そして、地中海性気候の灌漑地がその条件に匹敵したのだった。


地中海の地図を眺めていると、この海は大洋と云うより四方を陸地に囲まれた湖のように見えてくる。辛うじてジブラルタルで大西洋に繋がってはいるけれど。そして、西側地中海に流れ込む大きな河川はポー川、ローヌ川、エブロ川しか見当たらないから、この海はどうにも豊かな海とは云い難い。さらに夏の蒸発量が大きいため海水の塩分濃度が増して比重が大きくなり、それが深海へと沈み込むという。地中海の表層に目立って大きな流れはないが、海底部では深層海流となってゆっくり大きく動き、ジブラルタルを通過して南極へとゆっくり流れているのだという。


地中海の衛星画像、出典:Wikimedia Commons

こういう事情をとらえて「風土」(岩波文庫、和辻哲郎著)は、この地中海を「乾いた海」といっている。さらに、
「南に広漠たるサハラの沙漠、東にはまたアラビアの沙漠を控えたこの海は、海水の蒸発くらいで空気を潤すことができない。大西洋からの湿気はピレネー、アルプス、アトラスなどの諸山脈にさえぎられてしまう。だから暑熱の季節、すなわち海水の蒸発の最も盛んな季節が、沙漠の乾燥した空気によって最もよく湿気の中和される季節であり、従ってこの地方の乾燥期になる。夏の太陽が烙きつけている土地に雨を送ることのできない海なのである」
と書いている。


ワイン用ブドウは地中海沿岸の夏乾冬湿(乾燥した夏と雨の降る冬)の風土にうまく適合した果樹である。春の訪れで休眠から覚めたブドウ樹は、芽を出し、蔓を伸ばして、葉を広げ、花を咲かせて、実を結ぶ。ちょうどブドウの実が色づく頃、冬の雨がもたらした土中の貯えを使い切る。根から地下水位が下がったという報せを受けると、ブドウ樹はすべてを次の世代を守ることに集中する。つまり、実を熟させて種子を守るわけだ。これが地中海沿岸の風土とワイン用ブドウの相性である。

ローマが北へ西へと版図を拡げた時、ローマ人は地中海沿岸の数多のブドウ樹を携えて移動した。ところが異郷の地は寒く雨が多くてどうにもブドウ樹には適さない。たくさんあった種類を植えてみたものの、そこからひとつ抜け、ふたつ抜けして、ほとんどの品種が途絶えてしまった。たとえば、ローヌ川に沿って北上したブドウ樹の場合だと、ほとんどの品種がエルミタージュの丘を越えられなかったという。

ローヌ渓谷の中ほどにモンテリマールという町がある。ここがオリーブの自生北限地で、ここより北には地中海の暖かさが届かない。モンテリマールの少し北に位置するエルミタージュの丘は、ちょうど寒さの入口に当たる。そのエルミタージュからコート・ロティに至る日当たりのよい斜面で生き残ったのはシラーの先祖に当たるブドウ樹だ。

その先のリヨンからソーヌ川に沿って北上すると、ますます寒さが増し、降水量が多くなる。ここではシラーも生きることができない。そういう内陸部の寒く湿った気候に適合して生き残った品種がピノ・ノワールなど早生のピノ族だった。

つまり、ピノ・ノワールは地中海の夏乾冬湿の気候の埒外の、どんより湿って冷たい気候のもとで、しぶとく生き残ったブドウである。このブドウの栽培の要諦は、厳しい気候のもとでも早く芽を出し、短い夏が過ぎて実の色も糖分もそこそこ乗ったら早めに採りこむことである。そして、強い酸味は樽熟成で減少させるわけだ。日あたりと土の具合、霜と雨と水はけをみて栽培区画を選び、あとは花の時期の天気とその後の湿気による黴の発生具合など、年によってどれだけ明るい材料が加わるかで収穫の多寡の決まるブドウだ。


そんなピノ・ノワールを地中海沿岸に似た「地中海性気候」のもとで栽培したらどうなるか。地中海沿岸よりさらに乾燥の烈しい土地で、灌漑を施しながら栽培したらどうなるか。確かに、いつでも安定して大きな収穫は見込める。しかもよく熟した健全果だ。その代わり、果実の色づきは濃く、糖分(アルコール分)が多く、酸味の乏しい、果実を煮詰めたジャムのような味わいになってしまう。かつて造り初めの頃のチリのピノ・ノワールはまさしくそんなワインだった。

この間、なんどかチリとブルゴーニュのピノ・ノワールを目隠しで比較試飲する会を開いた。前もってチリのピノ・ノワールに抱く印象を尋ねると、多くの人から「アルコールが強く、酸味の乏しい、ジャムのような味わい」という回答がかえってきた。かつて、チリでもピノ・ノワールは地中海性気候の灌漑地で栽培されていたから、それは当然のことかもしれない。けれどもいま、チリの多くのピノ・ノワールは違っている。嘘だと思うなら目隠しで比べてみるとよい。


チリのブドウ栽培地を空から見ると。

コノスルを先駆けとするチリのワイナリーは、過去20数年にわたってピノ・ノワールの栽培適地を探求してきた。そして、その結果、地中海沿岸のようなブドウ成熟期の乾燥と、ブルゴーニュのような寒冷な気候を併せ持った按排のよい土地を見つけ出したのである。それがコスタ(海岸)。そこは地中海性気候帯にはあるけれど冷たい寒流の流れる海のそば。いつでも冷たく強い海風が吹き、午前中はずっと海霧が陽光を遮る寒い土地である。黴の心配はないけれど、年によって遅霜の被害はある。


真夏の強い日差しだというのに海から寒風が吹きすさぶ。チリの海は南から北まであまねく冷たい。

海の潮の流れは沿岸部の気候に強い影響を及ぼす。だから世界の海流図をじっと眺めていると、そこからピノ・ノワールの栽培適地が浮かび上がってくる。


世界の海流図。青線は寒流、赤線は暖流。出典を一部加工した。出典:Wikimedia Commons


チリの太平洋沿岸は南から北まで寒流のフンボルト海流の影響下にある。アタカマ沙漠一帯でも沿岸部だけは寒い。タリナイ、サパヤル、サン・アントニオ、レイダ、パレドネス、エンペドラド。これらはみなコスタ(海岸)にある村の名前で、ここに新しいピノ・ノワールの畑が拓かれている。

おもしろいことに、ニューワールドにおけるピノ・ノワール栽培の元祖と云うべきオレゴンのウィラメットヴァレー、さらにはカリフォルニアのロシアンリヴァー、モントレー、サンタ・バーバラと云ったピノ・ノワール産地も、みな夏乾冬湿の地中海性気候帯にあるけれどカリフォルニア寒流の影響を強く受ける海沿いの土地ではないか。

つまり、ニューワールドでは北半球であれ南半球であれ、寒流の影響を強く受ける沿岸部がピノ・ノワールの栽培適地なのである。もとは地中海から遠く離れた、海とは無縁の寒くて雨の多い内陸地で生き残ったピノ・ノワールが、いまは冷たい海のそばでその本領を発揮し始めている。おもしろい。

南アフリカのエルギンやハマーナス、西オーストラリアのマーガレット・リバーやグレート・サザンも低緯度の暑さをそれぞれ沿岸を流れる寒流が冷ましている。ここでもシャルドネだけでなくピノ・ノワール栽培にも挑んでいる。ただ、オーストラリアのタスマニアやニュージーランドのセントラル・オタゴはこの逆で、高緯度の寒さを暖流が温めて中和している。


20バレル リミテッド・エディション ピノ・ノワール



この記事を書いた人

番匠 國男

ばんしょう くにお

番匠 國男

ワインライター。ワインとスピリッツの業界専門誌「WANDS」の元編集長。ワインと洋酒の取材歴37年。「日本ソムリエ協会教本」のチリとアルゼンチンの項を執筆。1993年のコノスル創業以来、ほぼ毎年、コノスルのブドウ畑と醸造所を訪問している。フットボール観戦が趣味。週末は柏レイソルの追っかけ。海外取材の際も時間が合えばスタジアムへ出かける。