2022.07.07

  • チャリンコ通信

【チャリンコ通信】Vol.12  冷たい海風と海霧が育んだ新しいコスタのピノ・ノワール(後編)

ことしのワインの仕込みが佳境に差し掛かったころ、チンバロンゴにあるコノスル醸造所は1日3交代制で24時間フル稼働した。マティアスをはじめ醸造家はみな1年で最も忙しい時期を迎え、醸造所に泊まり込みの日々が続いたようだ。そのころ、いくつか確かめたいことがあってマティアスに問いあわせたのだが、最近になってその返事が届いた。例によって、とてもていねいな内容でマティアスの人柄が滲み出ている。そんなこんなで用意していたネタが、やや新鮮さを欠くことになったけれど、まぁコロナ禍だったから仕方ないと大目に見てください。




先ごろ、首都サンティアゴ市が計画断水を実施するというニュースがあった。市内全地区を4つに分けて輪番の給水停止を最大12日間にわたって実施したという。じつはチリ中央部はここ10数年にわたって冬の降水量の少ない干ばつ状態が続いている。地中海性気候のこの地域に冬の雨が無ければ、それは1年を通じてお湿りがないということ。


ただ、サンティアゴに雨は降らなくともアンデス高地に雪は降るわけで、その雪解け水を集めた河川がチリ中央部を東西に横断して太平洋へと注いでいる。その川とて麓に雨のない年には、夏を俟たず早々に干上がってしまう。そこで人々は生活用水と農業用水を安定確保するために上流にダムを築いて水を堰き止めるのだが、ここ数年はこのダム湖が干上がってしまった。それでやむなく計画断水を決めたわけだ。

サンティアゴ市のオレゴ市長は記者会見で「(この計画断水は)サンティアゴの歴史で初めての措置だ。全市民が深刻な干ばつに備える必要がある」と訴えた。チリ政府によると、チリ国内の取水能力は過去30年で大きく落ち込んでおり、とくに北部や中央部では2060年までにさらに50%減る恐れがあるという。チリ中央部のブドウ栽培を含む灌漑農業はまさに存亡の危機に立たされており、脱炭素化が叫ばれる所以でもある。


そんなわけで、2022年のブドウ収穫は過去10年で最も強く干ばつの影響を受け、収穫量が少なかった前年よりさらに5~10%減少した。それはチリ中央部のワイン生産者にさまざまな変化を強いている。たとえば、収穫時期の変更、灌漑の工夫、雨の多い南部へのブドウ畑の移転、干ばつに強い台木の選定や栽培品種の変更などだ。

その代わりワインの品質は白も赤も上々の出来だという。10年前に比べると収穫の始まりも終わりも時期が早まり、しかも全体として収穫期間が1~2週間ほど縮まっているから、醸造所の作業手順や機器の配備に工夫が必要になっている。コノスルのようにさまざまなタイプや異なる品種のワインを造るワイナリーは、そのやり繰りを短期間で済ませなければならないから、仕込みの時期はますます忙しくなっている。


さて、ピノ・ノワールの話を続けよう。前回はピノ・ノワールとはどういうブドウかについて書いたので、今回はコノスルのピノ・ノワール成功譚を紹介する。ちょっと専門的になるけれど、我慢して読んでください。


カンポ・リンド農園(コノスル所有畑)のピノ・ノワール

コノスルの持っているピノ・ノワールの畑は、2022年の収穫時点で460haあって、その内わけは自社所有畑272ha、長期契約栽培畑101ha、単年契約栽培畑87haだった。たぶんコノスルは世界で最も大きなピノ・ノワール生産者だ。オシオ、20バレル をはじめ様々な価格帯のピノ・ノワールを生産している。その中には近所のスーパーで、1,200円ほどで買えるレセルバ・エスペシャル ・ピノ・ノワールもあって、わたしはこのワインのヘビーユーザーを自認している。その品質は確かで、たとえば、2017年のソムリエ・コンクール決勝(日本ソムリエ協会主催)の目隠しテストに最も安いビシクレタ・ピノ・ノワール が採用され、トップ・ソムリエたちはそれを「ブルゴーニュ」「サンセール(フランス)」「オレゴンのウィラメット・ヴァレー」などと答えたほどに折り紙付きだ。

わたしは「大きいことは良いことだ」とは云わない。けれども「限定生産」とか「手づくり」などを誇大に言い募り、あたかも、おいしいワインは「ミクロ」規模でなければ生まれないという主張にも与しない。確かに、栽培環境に恵まれた畑の選りすぐりブドウでワインを1樽(300本)だけ造るなら、それはおいしいものになるだろう。けれどもそのワインの値段は目玉の飛び出るようなものになるはずだ。その「おいしい1樽」を前面に掲げ、その威光を借りて「残りのワイン」も高値で売り抜こうとする、いわば羊頭を懸けて狗肉を売るとまでは云えないものの、それに類似した手法が問題なのだと思う。


21世紀を目前にして誕生したコノスルは気鋭の企業で、経営者もスタッフもみなとても若かった。「私たちには誇るべき伝統も系譜もない。地下蔵で数十年も眠り続け表面にびっしり黴の付いた熟成ボトルもない。あるのは進取の気象と品質に懸ける思いだけ」というのがコノスルの創業時からの企業理念である。当時のチリを代表するワイナリーがこぞってカベルネ・ソーヴィニヨンとシャルドネを造ったとき、コノスルはリースリング、ゲヴュルツトラミネール 、ヴィオニエなど馴染みの薄い品種に挑んだ。そしてその仕上げとしてチリ独自のピノ・ノワールを造ろうと決めたのだった。

そのころ、チリのピノ・ノワール栽培は、海に近い冷涼地・カサブランカや、湿気があって涼しい南部のビオビオで緒に就いたばかりだった。当然のことながら、そのブドウを正しく栽培し、的確にワインにする術をまだ誰も知らなかった。それでもコノスルの醸造チームは、1996年からピノ・ノワール造りに挑戦した。はじめはそれを20樽分だけ仕込んで熟成の様子をみた(この「20樽(トゥエンティ・バレル )」は後にコノスルの上級ワインのブランド名に採用されることになる)。数年熟成させて飲んでみたが十分に満足できるものではない。

それもあって、彼らはブルゴーニュに行って直に教わろうと決めたのだった。1999年産の仕込みが終わった頃、コノスルの若い醸造チームは、ブルゴーニュ伝統のピノ・ノワール栽培法と醸造方法を教わるべくブルゴーニュに向かった。そして、訪ねた先は、ムルソーのドメーヌ・ジャック・プリウールの新当主、マルタン・プリウールだった。


いまでも、当時の訪問先が「どうしてジャック・プリウールだったの」という声をしばしば耳にする。率直なところ、ブルゴーニュに詳しい人なら、違った訪問先を幾つも思い浮かべることができるだろう。しかし、当時のブルゴーニュ事情というか歴史的制約というか、コノスルの若者たちに与えられた最善の方法はマルタン・プリウールに頼るしかなかったのである。そしてそれが結局のところ、今日のコノスルの大きな成果に繋がったと云えるだろう。


なぜマルタン・プリウールだったのか。コノスルは次のように答える。
「私たちはピノ・ノワールの栽培にも醸造にも豊富な経験があって、しかもそのワインが国際水準に達している人を探していた。当時のブルゴーニュにはこの品種に関する知識も経験も十分に備えた人はずいぶんいたけれど、残念ながらそれを他の誰かに教えるとか、知識を共有してもいいと云ってくれる人は限られていて、ましてやそれをブルゴーニュの境界を越えてチリまで持ち出しても良いという人はなかなか見つからなかった。そんな時、マルタンがわれわれの願いに快く応じてくれたのです」。

ボルドーに比べると当時のブルゴーニュは閉鎖的だった。ピノ・ノワール造りは父子相伝、門外不出の技だったといえるだろう。カリフォルニアのロバート・モンダヴィのように、望むなら誰にでも自らの知識と経験を伝えるという人はいなかった。その後、ニューワールドに目を向けるブルゴーニュの生産者は増えたけれど、それは誰かに教えるというのではなく、ニューワールドに投資して自らの商標で販売するという人々だった。


コノスルの醸造責任者マティアス・リオス


一方、ではなぜマルタン・プリウールはこの話を受けたのか。
私の手元に1997年にマルタンをインタビューした時の原稿が残っている。コノスルの若者たちがマルタンを訪ねた年のわずか2年前のものだ。それによると、ドメーヌ・ジャック・プリウールはマルタンの祖父ジャックが創業したもので、1988年に父ジャンからマルタンに引き継がれた。所有する畑の一枚ごとの広さはわずか数アールだけれど、ブルゴーニュの特級畑のほぼすべてを網羅して所有しているのが自慢だ。

マルタンは1992年からブドウの有機栽培に取り組み、ピノ・ノワールの醸造も伝統に縛られず積極的に新しい手法を取り入れた。そして当時のブルゴーニュの人にしては珍しく英語を流暢に話した。機会があればブルゴーニュの外に出てワイン造りに挑戦したいという夢をもっていた。そこへチリから目を輝かせた若者が教えを請うて訪ねてきたのである。マルタンが拒むはずもない。



それからというもの、マルタンは年に二度の割合でチリのコノスルを訪ねた。ブドウ畑でピノ・ノワール栽培法をこと細かに伝えた。ワイナリーではピノ・ノワールを造る醸造手順だけでなく、専用の発酵容器が必要だと説いた。それは通常の円筒形で上部の閉じたものではなく、ステンレス鋼で作った四角形の容器で深さが1.5mと浅いものだった。

採れたてのブドウの果梗と果粒をわけ、果粒だけを丸ごと潰さずにこのタンクに入れる。ある程度のブドウが溜まったらタンクを冷却して酵母が活動できないようにする。この”発酵前冷却かもし”という技を採用すると、ブドウの果皮から色素やタンニンが効率的に抽出できる。もともと色合いの淡いピノ・ノワールにはとても大事な作業だ。

この状態で一定期間が過ぎたら、冷却状態を解除し、タンクの中に人が入ってブドウを踏む。タンクが1.5mと浅いのは中に人が入れるようにするためだ。潰れた果粒から果汁が出て、酵母が旺盛に活動をはじめ、アルコールと炭酸ガスが発生する。炭酸ガスは果皮などの固形物を上部に押し上げるからタンクの上部に果皮の層ができる。これを専用の棒で壊して果汁の中に押し戻し、果皮の成分が果汁中に十分に溶け込むよう促す。ブルゴーニュ伝統のピジャージュ(櫂突き)という作業だが、内径の広い四角形タンクだと、この作業が容易くできる。


マルタン・セラーのピノ・ノワール発酵槽で櫂つきの作業をしている。



こうした一連の作業はブルゴーニュ伝統の技に、マルタンの当時としては革新的な工夫が加わったものだが、このごろはブルゴーニュから「全房発酵」という仕込み方で造った香りのはなやかなピノ・ノワールも紹介されている。それはブドウの果梗と果粒を別けずに一房丸ごとをタンクに入れて発酵させる手法で、愛好家の中には、これこそがピノ・ノワールだと主張する向きもある。

この手法に「全房発酵」という訳語を充てたことの適否はここでは措くけれど、なにしろブルゴーニュでは古くからこの方法でワインを仕込んできた。ところが、ちょうどマルタンが家業を引き継いだころ、ブルゴーニュのワイン造りに新しい動きがあった。それは畑でブドウをしっかり熟させて果梗を取り除き、果粒だけを冷却して発酵前の醸しをする方法だ。まさにマルタンがコノスルに伝授した手法である。

そして、マルタン以降、21世紀になってワイン造りに加わった若い世代の中から、昔ながらの「全房発酵」を見直す流れがうまれてきたわけだ。除梗をせずに発酵させると何が良いのか。それは果粒だけでなく果梗に含まれる成分もワインに抽出できるということだろう。

さらにこの手法だと特別な香りの要素が加わってより複雑さが増すことになる。発酵タンクの中の丸ごとブドウの果皮は破れておらず果汁が外に出ていない。そのブドウの周りでは、一部の潰れたブドウが発酵を始めタンクが炭酸ガスで充たされる。梗に守られた丸い果粒の内部では酵素の反応がおこり特別の香りが生成される。そう、あのボージョレー・ヌーヴォーを造る方法と同じ理屈である。ボージョレー・ヌーヴォーは人工的に発酵タンク全体を炭酸ガスで覆うため、バナナのような香りができ上ったワイン全体を覆ってしまうけれど、このケースではその発生量が少ないので、覆うというのではなく新たな香りの要素が加わって複雑さ増すことになるようだ。

ブルゴーニュの「全房発酵」を採用する新しい生産者には、すべてのブドウを「全房」で仕込むものものから、全体の2~3割だけを「全房」にするもの、さらには除梗してあとで果梗だけをタンクに加えるものなどさまざまだ。

コノスルが除梗して仕込む(全房発酵を採用しない)理由をマティアスに聞くと、
「私たちはたびたび全房発酵を試してきました。それもさまざまな割合で全房を残す方法です。ところが、これまでのところ、除梗して冷却醸しをしたものが一番気に入っています。ピノ・ノワールの仕込みはとてもデリケートなところがあります。ですから私たちは将来にわたって全房発酵を採用しないと決めたわけではありません。ただ、いまのところオシオの品質基準に適った畑のピノ・ノワールは、酸味のバランスの点でも香味成分の成熟度という点でも全房発酵による助けを必要としないと判断しているのです」と答えた。



話を戻す。ピノ・ノワールには特別の発酵設備と熟成環境が必要だとわかったコノスルは、ピノ・ノワール専用の醸造所を作り、そこを「マルタン・セラー」と名付けた。ところがマルタン・セラーは古い木造の建物だったから、2010年のチリ大地震で大きな被害を被った。現在のマルタン・セラーは、かつての骨組みを維持しながら耐震構造の建物に修復されている。

マルタン・セラーで造った「20バレル・ピノ・ノワール」は小さなオーク樽で熟成する。マルタンはいまでも一年に一度、コノスルを訪れてコノスルの醸造チームと一緒にすべてのピノ・ノワール熟成樽を試飲する。コロナ・パンデミックでそれが適わなかった年は、コノスルがサンプルを小瓶に詰めてマルタンに送り届けたという。2007年からは、この試飲で上質の樽を選びだし、特別のワイン「オシオ」を造っている。

マルタン・セラーでは、すべてがまったくの手作業なので自ずと原価高になり生産量も限られる。一方、世界のピノ・ノワール人気とその需要は年々高まりを見せている。ピノ・ノワールの栽培畑が徐々に増えてきたので、この需要に応えるため、新たに「ピノ・ノワール・セラー」を建設した。ここはコノスルの品質水準を維持しながらコストを削減することで、手ごろな価格で提供できるピノ・ノワールを造る設備である。


ピノ・ノワール・セラー。油圧式装置で櫂つきをしている。


ピノ・ノワール・セラーには、上部の開いた容量の大きいステンレス鋼のタンクが設置され、除梗されたブドウはベルトコンベアでタンクに送られる。ピジャージュ(櫂突き)は油圧式装置を採用している。しかしワイン造りにはマルタン・セラーと同じ「コノスル流」が貫かれている。

この記事を書いた人

番匠 國男

ばんしょう くにお

番匠 國男

ワインライター。ワインとスピリッツの業界専門誌「WANDS」の元編集長。ワインと洋酒の取材歴37年。「日本ソムリエ協会教本」のチリとアルゼンチンの項を執筆。1993年のコノスル創業以来、ほぼ毎年、コノスルのブドウ畑と醸造所を訪問している。フットボール観戦が趣味。週末は柏レイソルの追っかけ。海外取材の際も時間が合えばスタジアムへ出かける。